「情報社会」という言葉は今では当たり前のことになりすぎて、
あまり見かけなくなりました。
1990年代から世界的にパソコンが普及し、
「情報社会」という言葉がさかんに使われるようになりました。
これからの世の中においては情報が、
資源や資本と同じような価値を持ち始めるという意味です。
しかし、現在、
逆に情報そのものの価値は下がっています。
情報そのものの価値が下がる時代
現代社会においては、どんな情報でもほぼ無料で手に入ります。
昔だったらパソコンのスキルを身に付けたいと思ったら、
パソコン教室に通うか、通信教育などの教材を買うか、
少なくとも専門書を購入して学ばなければなりませんでした。
しかし、現在ではネットで検索すれば、
すべて無料で手に入ります。
しかも、昔だったら、
「この時間に」「駅前に」パソコン教室に通わなければならないとか、
「実際に操作画面を見ることができたらわかりやすいのに」 文字情報しかないとか、
情報を手に入れる際にも様々な制約がありました。
しかし、現在では、
誰でも、自分の都合に合わせて、
自分が欲しい情報を手に入れられるようになっています。
そのため、情報そのものの価値は非常に低くなっています。
ただ、情報を伝達するだけのメディア、書籍、スクールなどは
売り上げが右肩下がり。
もしくは自力で検索して情報を手に入れるスキルのない
情報弱者を相手にしていくしかなくなっているのが現状です。
誰の情報かが重視される時代
今の時代、詳しい人、うまい人、おもしろい人は無限にいます。
そういう人たちがつくった情報には存在価値はあります。
しかし、売れる(ヒットする/世の中から求められる)とは限りません。
一方で素人に毛が生えた程度の人が、
無料でアップしているコンテンツがめちゃくちゃヒットする
なんてことも珍しくはありません。
超一流のプロが命をかけて真剣につくりあげたコンテンツも、
その辺のお兄ちゃんが無料でつくった情報にあっけなく惨敗する時代なのです。
では、『情報そのものが価値を失った情報社会』
において重要視されるのはなんなのか?
それは情報そのものやコンテンツではなく、
誰が発信している情報か?
ということです。
例えば、
ITの超スペシャリスト、プロのプログラマーがアップした
パソコン初心者向け動画。
めちゃめちゃためになるのに、再生数100 なんてことはよくあること。
でも、一方で、
某セミナー講師がiphoneで撮影したほぼ無編集の動画は
5万でも飛ぶように売れています。
(決して詐欺ではないのですが、内容はそんなに目新しいものではない)
ようは「この人の話が聞きたい!」と思う人の情報は5万でも飛ぶように売れるけど、
どこの誰だかわからない人の情報はどんなにすごくても見向きもされない、ということです。
…ということは、
『情報そのものが価値を失った情報社会』
で、売れる人になるためには、
『選ばれる人』になることが必要ということです。