『いじめ』という言葉には犯罪性を覆い隠す性質があると思います。
『いじめ』という言葉には子ども同士のイタズラや悪ふざけの延長線上にあるようなイメージがあるからです。
しかし、例え子ども同士でも人を殴れば犯罪なのです。
きっぱりと「暴行を加えました」(暴行罪)、加害者や保護者らにきちんと犯罪性を認識させるような言い方をすべきです。
いじめという言葉
『いじめ』という言葉には『子ども同士のイタズラや悪ふざけの延長線上にある』というようなイメージがないでしょうか?
普通に街で人を殴ったら暴行罪で逮捕されます。
一方で、長期間にわたり殴ったり、脅迫したり、名誉毀損したりしても、学校内で起こったことならば『いじめ』と呼ばれ、ほとんど立件されることはありません。
しかし、子ども同士だろうが何だろうが殴れば犯罪なのです。
それが『いじめ』という言葉の下で、なんとなく犯罪性が曖昧になってはいないでしょうか?
言葉狩りをして「『いじめ』という言葉を無くそう!」と言いたい訳ではありません。
ただ、『いじめ』という言葉が問題の本質を見えなくさせている側面があると思うのです。
教師にとっての『いじめ』という言葉
意外なようですが、学校や教師は『いじめ』という言葉を使いたがりません。
また「あなたのクラスにいじめがありますか?」と聞かれたら、ほとんどの教師は「ありません」と答えるでしょう。
理由は「ある」と答えたら、「じゃあなぜ対処しないんだ!?」という話になるからです。「対処していますが無くならない」と答えようものなら、『不適格教師』のレッテルを貼られかねません。
これは校長も同じで、自分の学校にいじめがあると認めたら管理能力が無いということになってしまうから、校長も自分の学校にいじめがあるとは認めたがりません。
だから『いじめ』は認められにくいし、発覚しにくいのです。
確かに学校の指導や管理上に問題があって、いじめが大きくなってしまっているケースもあると思います。
しかし、そうではないケースもたくさんあるのです。
多くの教師はいじめ撲滅に向けて真剣に取り組んでいます。
これは現役の教師として自信を持って言えます。
しかし、残念ながらそれでも無くならないいじめ、それでも発見できないいじめもたくさんあるのです。
しかもそういういじめほど根深いものです。
『いじめ』という言葉を使わずに事実を述べる
この問題を解決するためには、私は『いじめ』という言葉を使わなければいいと思います。
使いにくいなら使わなければ良いのです。
その代わり、淡々と『事実』を述べていきましょう。
「私のクラスでいじめがありました」ではなく、
「AとBという生徒がCという生徒に対して殴る蹴るなどの暴行を加えました」とか
「Cという生徒が長期間にわたって、Dという生徒から悪口を言われたり、死ねと言われるなどの嫌がらせを受けていた」
という風に。
事実は「暴行を加えた」「悪口を言うなど嫌がらせをした」ということなのです。
あえて『いじめ』という言葉を使わなくても、十分に指導していくことはできます。