昔の学校は本当に治外法権でした。
人が殴られても、窓ガラスが割られても、物が盗まれても、すべて『学校だから』ということで内々に処理されていました。
(らしいです。私が教員になる前の時代のことだから実際に見た訳ではありませんが)
しかし、今はこの状態も少しずつ変わっています。
人が殴られれば刑事事件にもなり得るし、民事訴訟にもなります。
ガラスが割られたり、落書きがされたり、物が盗まれたりすれば警察が入ります。
ようやく法治国家として当然の姿になりつつあります。
学校は治外法権ではないのです。
いじめは犯罪
しかし、いまだに聖域となっている部分もあります。
それは『いじめ』の問題です。
いじめは犯罪です。
暴行罪、脅迫罪、自殺教唆罪、名誉毀損罪などの罪に当たります。
いま話題の大津市の中2生徒自殺事件では、「自殺の練習をさせられていた」といいますが、これは『自殺教唆罪』(じさつきょうさざい=自殺をうながすこと)にあたる可能性があります。
いじめた側にも人権…「自殺練習」真偽確認せず : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
大津市の市立中学2年男子生徒が自殺したことを巡って行われた全校アンケートで「(男子生徒が)自殺の練習をさせられていた」との回答を市教委が公表しなかった問題で、市教委が加害者とされる同級生らに対して直接、真偽を確認していなかったことがわかった。 …
なぜ犯罪が隠蔽されるのか?
なぜ『いじめ』という名の犯罪が隠蔽されるのか?
それには4つの理由があります。
- 被害生徒の人権保護
- 加害生徒への教育的配慮
- 周囲の生徒への教育的配慮
- 学校や教師の責任問題になるから
1.被害生徒の人権保護
これは一番大切な問題です。
被害者が好奇の目にさらされたり、傷をえぐるような取り調べに晒されて二次的なダメージを負わないようにしてあげる必要があります。
しかし、最優先すべきはまず大本である『いじめ』という名の犯罪行為から守ってあげることです。
学校の力でいじめをやめさせることができないのであれば、早い段階で次の手を考えなければなりません。
2.加害生徒への教育的配慮
加害者である生徒も成長段階にある子どもなので、一定の教育的配慮をしてあげることが必要です。
しかし、「この子は暴行罪を犯したが、教育的配慮として今回は大目に見よう」という判断を学校が下して良いものなのかどうなのか?はなはだ疑問でです。(学校は司法機関ではないのだから)
例えば万引き(という名の窃盗罪)をして捕まった生徒がいたとしましょう。
その際に学校がしゃしゃり出ていって、被害に遭った店や警察に対して「まぁまぁ子どものやったことですから大目に見ましょう」などということができるでしょうか?
3.周囲の生徒への教育的配慮
いじめを刑事事件として警察に届け出た場合、「自分の学校でいじめ事件があって、マスコミや警察が出入りして、自分も取り調べを受けた」という体験を周囲の生徒たちにさせることになります。
これは教員としてはとても心苦しいことです。関係のない生徒に多大なストレスを与えることになるし、学校不信になる生徒もいるかもしれません。
しかし、人命には変えられません。
なにより大切なのは、今、もしくは今後、いじめによって命を落とす人がいなくなるような社会の仕組みをつくってあげることです。
4.学校や教師の責任問題になるから
いま、大津市の中2生徒自殺事件がこれほどまでに話題を呼んでいる理由は、「学校や委員会が保身のために事実を隠蔽しようとしている」という印象を世間に与えてしまっているから、ということも大きいです。
良識ある教員ならば自分のクラスでいじめが起これば、強い自責の念を感じます。
また自責の念とは別に、校長や保護者からは「なぜこのようなことが起こったのか?」「あなたは気付かなかったのか?」と問われる。場合によっては矢面に立たされることもあります。
だから教員は「『いじめ』があった」という言葉を使いたがらないし、いじめを認めたがらないことが多いのです。
学校は学校で、いじめを認めると『学校の信用』を落とすことになるし、校長の責任問題にもなりかねないから認めたがらないことが多いです。
しかし、何より大切なのは、いじめから生徒を守ることです
学校の信用が落ちたとしても、ひとりの生徒の命を守ることです。
もし『いじめ』という言葉が使いにくいならば「暴行を加えていた」「自殺をうながしていた」などという事実のみを保護者や委員会、場合によっては警察に伝えていけば良いのです。
いくらすばらしい教育をしようと、ひとりの生徒がいじめによって命を落としたら、そんなものは何の価値もなくなります。
最優先すべきなのは何なのかを考えていきましょう。