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バスケ部顧問の体罰によって大阪の高校生が自殺した事件が波紋を呼んでいます。
当ブログでも1月10日にそのニュースを取り上げました。

体罰は問答無用でダメ!愛があろうが、熱血だろうが関係ない!

体罰に頼らないと指導できないような教員はさっさと辞めてほしい。
私は切にそう願っています。

 

体罰はただの暴力

教員は法令に基づいて、地方自治体の首長の権限のもとに教育を行っています。
趣味で教育を行っているのではありません。
そもそも教員は体罰をする権限なんて持っていないのです。

それは教員であれば誰でも知っていることです。
権限がないにもかかわらず体罰をすれば、それはただの暴力です。

市役所の職員には市民を殴る権限はありませんよね?
それと同じです。

 

意識の低い教員もいる

しかし、残念なことに体罰に対する意識が低い教員はたくさんいるのも事実です。

いや、別に「正座や廊下に立たせるのも体罰だ」とか「罰としてグラウンド10周というのも体罰だ」とか、そんな揚げ足取りの体罰反対論を唱えたいのではありません。

実際40代以上の教員の中には体罰に対して許容的な考えを持っている人も多いのです。
「昔は当り前だった」
「時には体罰も必要」
「愛があれば殴ってもこっちの気持ちは伝わる」
「自分も殴られて強くなった」
などという思いを抱いているのです。
こういう風に思っている教員はかなりたくさんいます。

こういう思いを持つのは勝手なんですが、それはあくまでも個人の思いです。
教員は法律に基づいて仕事をするのですから、個人の勝手な思いで暴力をふるうなど言語道断です。

 

体罰に頼らないと指導できないような教員はさっさと辞めるべき

確かに、生徒を殴れば言うことを聞くようになるかもしれない。

でも、逆に言うと、暴力に頼らないと指導できない教員ってどうなの?と思います。
それって教員に向いてないんじゃないの?と。

暴力をふるっている本人は良いのかもしれませんが、周りにいるまじめな教員に対しても迷惑です。
そういう人がいると、子どもは暴力をふるう人(コワイ人)の言うことしか聞かなくなります。
また、ただでさえもガタガタに崩れている学校教育に対する信頼はますます低下します。

そういう人にはさっさと辞めてもらいたいな、と切に願っています。

 

「昔は体罰が当り前だった」けど、その頃の学校も狂っていた

ちなみに、「昔は体罰が当り前だった」というのは確かにそうかもしれませんが、だからと言ってその頃の子どもたちがまともだったかと言うとそうでもないと思います。

体罰が当り前だったいまの40代~50代の世代だって若い頃は、上の世代からボロクソに言われていました。

いわゆる『金八世代』ですから。
校内暴力全盛期ですよ。

全然体罰が認められていたからって、全然まっとうに育つわけではありません。





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