13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。愛を込めて。母より
という記事が話題を呼んでいます。
賛否両論あるようですが、私はこのお母さんの教育方法に賛成です。
子どもに携帯を持たせる際には、親子できちんとルールを設けるべきだと考えています。
13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。愛を込めて。母より(Hana.bi) – BLOGOS(ブロゴス)
朝4時まで携帯をいじっている子どももいる
私が実際に子どもたちに聞いたところによると、深夜まで携帯をいじってメールやネットをやっているという子どもはかなりたくさんいます。
ひどい子の場合は、朝方4時すぎまで携帯をいじっているという子もいます。
携帯は大人でも遊び尽くせないようなおもちゃです。
それを与えておいて、子どもが部屋でおとなしく勉強している、おとなしく寝ているなんて思ったら大間違いですよ。
子どもに携帯を持たせる場合には、必ず親子で話し合いをし、きちんとルールを設けるべきです。
ルールが守れないなら携帯も使わせない。当り前のことです。
(時には親としてのそういう役割を放棄して、「学校で携帯を規制してくれないか」という保護者もいるようですが・・・)
自分で判断できるだけの知識と経験があるのか?
20歳の息子に「このiphoneは19時にはママに返すこと!」などと言ったらさすがに気持ち悪いですが、この記事の息子はまだ13歳。
13歳はまだ子どもです。
「自分の子どもを信じる」というのは確かに大事です。
しかし、問題は「信じるに足るだけのことを教えてきたのか?」ということです。
「自分で正しい判断を下せるだけの知識を教え、経験を積ませてきたのですか?」ということです。
大人だって、ネットや携帯の使い方で道を誤ってしまうのですよ?
まだまだ経験も少なく、判断力の弱い子どもにいきなり「さぁ自由に自分で考えて使ってごらん」と言っても、なかなか正しい判断はできないでしょう。
子どもに選挙権がないのも同じ理由です。
制限され、保護された中でも、壁にぶち当たったり、トラブルに巻き込まれることは充分にあります。
そういう中で少しずつ経験を積み、知識を身につけ、徐々に親の手を離れていくのです。
自由は最初から与えられるものではない
「もっと自由を与えるべき」という批判もあるようですが、それもお門違いです。
『自由』とか『自主性』は与えられるものではありません。
徐々に子どもが自分でつかみとっていくものです。
反抗期や親子の対話などを経て、徐々に親の手を離れていくのです。
最初から手放しで与えられる自由なんて、自由ではなく『放任』です。
自由と放任をはき違えるべきではありません。